東京都台東区の税理士事務所:税理士法人カデンツ浅草大木事務所/法人に限らず個人の方にも親切丁寧にサポートします。
 
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  税理士法人カデンツの歩み

<事務所の成り立ちと今まで>
私は昭和54年(今から30年前)の5月、従来勤務していた(有)中央経理事務所から退職金代わりに顧問先を分けていただいて独立・開業しました。
当時、金も何もないところから、一緒に受験勉強をしてきた永年の友人3人で1つの事務所を立ち上げたのです。3人一緒ですので事務所の名前は「共立合同税理士事務所」という何か立派な名前にしてしまいました。少し後にもう1人参加して4人の共同事務所となりました。ところがそれが非常に複雑なものになってしまったのです。
共同事務所
4人のうち3人が従来社会保険に加入していたため、また個人事業主は国民健保加入しか方法がないため、記帳代行会社を作り、顧問料は会社の収入、決算料は個人の収入ということにし社会保険や雇用保険・年金基金に加入しました。税理士4人は会社から給料をとるほか税理士報酬としての決算料を事業収入として取ることにして、4人の税理士が雇っている従業員は会社から給料を支払い、会社の収支となる顧問料と給料はそれぞれ4人のうち誰に属するかを区分し、社会保険や労働保険は4人の税理士の負担する給料の割合で4人に割り振り、家賃・光熱費や電話代・コピー料などは可能な限り合理的な計算法で4人の分担として計算しました。1人非常にきちんとした人がいたためこんな面倒な計算が可能だったのだと思います。ただどうしても合理的按分ができなかったのは、1台しかないパソコンの利用配分でした。一応日々の利用配分を時間単位で決めてはいたものの、日時によって奪い合いとなるのです。どう配分してもパソコンの奪い合いは避けられませんでした。
そこで、顧問先が多くなり従業員が増え、パソコンや電話を多く使うようになった人から順にこの共同事務所から出て行くことにしたのです。私は一番年長で、共同事務所設立の言いだしっぺですので、私から事務所を出るわけにはいかず、約10年ほどして最後の1人が出て行くまでこのような事務所を続けてきました。しかし今でも私たちを中心に10人ほどの税理士が毎月定期的に勉強会をやっています。もう古い人とは40年来の交流となります。
事務所移転と税理士法人化
平成4年に約100メートルほど離れた現在地に移転し、士業法改正により税理士法人ができるとともに、今までのような個人事業と法人の併用という税理士法に抵触しかねない現状を打開する機会到来と考えて税理士法人結成の方向を模索し始めました。私の30年来の税理士活動の中で10人弱の税理士を育ててきましたので、中でも相互の信頼の厚い2人の税理士と幾度も話し合い、相互に無限責任を負う税理士法人の社員(役員)として信頼しあい、税理士法人を数年前に立ち上げました。私が代表社員で浅草本店・豊島支店社員・村田淳一、江戸川支店社員・新藤和吉の3名です。税理士法人設立以来、毎月1回定例会議をもち、経理の公開ほかすべての問題を話し合って相互に理解しあうようにするとともに心配なことも必ず出し合うことにしています。もちろん年1回は従業員や家族を含めた懇親会を開いています。
私たちの今後
私は年齢が70歳を超え、いずれ次男の進次郎にバトンタッチするつもりです。50歳代はじめと40歳代はじめ、そして私の息子と、私を除けば働き盛りです。少なく見積もってもあと30年は事務所として安心して任せていただけるものと考えます。
顧問先の皆様やこの文章をお読みの皆様、私たちのささやかな歴史と今後を暖かく見守っていただくようよろしくお願いいたします。
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